この道しかない ~政治家になるまで~

私は東京都中央区の自民党において、中央区政誕生以来、初のお母さん議員です。

政治の道を志して1年後の春、様々な紆余曲折の末、私は地方議員として「地域と子育てを繋ぐ教育文化の再興」「そして伝統と文化の継承と発展」を自らの政策として活動しています。

政治の道を志すきっかけは小さな娘の子育て。

・・・志を抱いた当時は子育てに専念していました。

地下鉄のエレベーター、保育園、公園デビュー、上下水道、ゴミ出し・・・etc.

これらすべてに行政が少なからず関連し、行政の予算はすべて議会を通じて承認され、執行されます。

議会とはまさしく政治ですから、日常生活というのは、少なからず政治が関与している。

些細なことですが、子育てを通じて意識し、女性が少ない政治の世界について学んでみようと決意し、「TOKYO自民党政経塾」に入塾しました。

政治家という志を抱いてからは身も心も非常に軽やかで、なんの重圧もなかったのですが、その分残念ながら誰からも相手にされませんでした。そこから私の志を実行に移す戦いが始まりました。

なぜ自民党なのか?

2009年、とても仲良くしていたお友達一家がカナダに移住しました。

「日本の将来に不安ばかりで子どもを育てるなら日本を離れた方が良いと思う」

という言葉に衝撃が走りました。

子どもの将来が不安だから祖国を離れるって、そんな国、なんとかしないと。

そう考え込んだことを覚えています。

民主党政権から第二次安倍政権に変わった2012年12月、オリンピック招致が成功したり、なんとなく社会が明るくなってきたような、マインドが変わったような気がしたのも覚えています。

ぼんやりとですが、政治は誰がやっても同じではなく、使命感と責任感、そしてお金や地位ではなく志をもった人がやれば必ず社会が変わる。こう思ったのは第二次安倍政権のおかげです。

戦いの日々

中央区の自民党は、候補者になるために、「党員」という形で、ご支援してくださる方を100人集めるというミッションがあります。

ゼロからのスタートであった私は、非常に苦戦しました。

ただの普通の主婦である私を信用し、応援し、おまけに党員になってくださるなんて、簡単なことではない。

それは分かっていたものの、最初は本当に大変でした。

そんな時に「TOKYO自民党政経塾」塾長の深谷隆司先生に相談をすると・・・

「100人という数字は簡単なことではないが、自分の立場を説明し、分かっていただき、応援していただく。このことが出来ない人が政治の道をめざしたところで、自らの政策を語り、同じ方向を向いて進むことは難しい。だからこそ、最初に、100人の皆様にご理解いただくことにまず挑戦して欲しい」

その後、なんとか100人の党員を集めることができたのも、深谷先生からの激があったからです。

そして、昨日のことのように思い出すことができる大変な日々に、私を理解してくださり、支えてくださった100人の党員の皆様は一生の宝物です。

簡単ではなかった自民党公認

志を抱いてからは、心が軽くやる気に満ちあふれていました。

なんとか100人の党員を集められた頃、自民党の公認候補としての申請書を提出しました。

しかし、結果は「今回の公認審査には漏れました。次はいつ開かれるか分からないが、第三次公認審査の結果を待って欲しい」というお返事でした。

その理由をお伺いすると、2014年8月当時の幹事長であった今野弘美先生が「現職の区議会議員が反対している」と教えてくださいました。

党員も集め、TOKYO自民党政経塾にも通い、公認候補の要件はすべて満たしたはずなのに、「現職が反対している」という理由で公認は下りませんでした。

確かに、候補予定者として私が一人加わることにより、現職の先生の票が減少してしまうことはあると思います。しかし、それも含めてみんなで競争して当選を勝ち取るのが本来の姿ではないかと、悲しい気持ちになりました。

そして、公認申請から半年が過ぎた翌年の2月。

「第三次公認審査」がいつ行われるのかもまだ分かりません。

しかし、そろそろポスターや選挙カーも手配しなければならない頃になりました。

公認申請は出したものの、一体どうなるのか宙ぶらりんのまま。

こうなったら無所属で立候補するしかないと思い始めたころでした。

中央区自民党の公認候補を巡る膠着状態を知った、東京都連最高顧問(当時:東京都議会議員)内田茂先生が、「それならば東京都連で佐藤の公認を出す」とご連絡をくださり、急展開することとなりました。

晴れて自民党公認候補に

急展開で自民党公認候補となった私ですが、そのお導きをくださったのは、深谷隆司先生と内田茂先生です。

自民党という政党は、本当に思想が幅広く寛容で、ある意味、与党でありながら野党っぽい方もたくさんいて、自民党内の議論は、まるで与野党の議論のようです。それが自民党特有の寛容や、懐の深い暖かさにつながっているのだと思います。

実は内田茂先生と私は、そんなにたくさんお話をしたことがない関係性でした。

しかし、出会いへと導いてくださったのは、私の無二の親友でもある江東区高橋の「ベッラ・ナポリ」の女性経営者の池田七恵さんです。

2015年の統一地方選挙では、これらの出会いに恩返しがしたいと頑張りました。

そして結果は新人候補者の間ではトップで当選をさせていただきました。

私はもともと、0からのスタートです。

これからも点と点を繋いで、もっともっと絆が強い地域を目指して、そしてさらに上を目指して頑張りたい。そのように思っております。

4年前の挑戦者の気持ちを忘れず、これからも頑張って参ります。